
レジリエンスを生む自律的変革――インフラと組織の“OSチェンジ”
自然災害の激甚化に加えて、老朽化したインフラ設備が増えていることは、企業の事業継続計画(BCP)にも関わってくる重要な社会課題です。IGPIグループのアドバイザリーボードメンバーで、能登半島地震の被災地での特別調査を行ったほか、埼玉県八潮市での道路陥没事故を踏まえた国の専門家委員会で委員長も務める家田仁氏を迎えて、IGPIグループ代表取締役CEOの村岡隆史と、日本のインフラの課題や今後のあり方について議論しました。
別次元の能力が問われる時代
村岡 新幹線をはじめとして自国のインフラの正確性やレジリエンスに日本人は誇りを持ってきました。ところが、最近はその自信が揺らいでいます。たとえば、能登半島地震ではレジリエンスが発揮されず、台湾やイタリアなど海外事例のほうが効果的、効率的に復旧がなされているとの報道も多く見られました。日本のインフラマネジメントは国際的にどのように評価されているのでしょうか。
家田 日本の施設インフラは、従来は割と評判が良かったと思います。ただし、その内容は効率的につくられ、運営され、安全で正確だということが中心でした。地震をはじめ、今は災害が多発する時代です。かつ、これまでつくってきた膨大な量のインフラ施設は建設から60年、70年経って劣化が始まり、笹子トンネルの天井板陥落事故や埼玉県八潮の道路陥没事故などが起こっています。あろうことか、その後のインフラ点検中に事故で亡くなる人まで出ている状況です。今はかつて評価されてきたものとは別次元の能力が問われていると思います。
村岡 それは日本だけの課題ですか。それとも世界全体の課題でしょうか。
家田 世界全体の課題ですが、日本の方がより深刻な問題に直面しているといえるかもしれません。一例を挙げると、日本の鉄道の複線はそれぞれ一方通行の利用しか想定されていません。ヨーロッパの鉄道は単線運用が可能な線路が2本並列されているので、列車が少ない夜間に片方の線路に運行を集約し、空いている線路をメンテナンスするなど、ゆとりをもってつくられています。
村岡 一見同じ複線に見えても、もともとの設計思想が違うわけですね。
家田 日本ではピーク時に合わせるのではなく平時の需要を前提に道路をつくるのに対し、中国やアメリカでは空港に通じる主要道路は片側6車線くらいあります。それは空港に遅れずに着けるよう、この道路は絶対に渋滞させない、事故が起こっても横を抜けられるようにする、というところにまで思いを馳せているからです。そういうゆとりを与えない心の貧困が差になっています。

平時にどれだけ自律的に変革できるか
村岡 インフラというとハードのイメージがありますが、家田先生はオペレーティングシステム(OS)をチェンジすべきで、その根幹にあるのは人間だともおっしゃいます。その人間を含めたOSチェンジは企業経営にも共通するものです。特に今、経営者に問われているのは、AIを取り込むことでOSをアップデートし、経営自体をオーバーホールすることです。
家田 同感ですね。AIなど持てる技術が変われば、物事は変わります。ただ、それ以上に感じるのは、今までやってきたことが滓(おり)のように蓄積されて、「くびき」になっていること。その結果、考えない人は漫然とし、考える人はくびきを前提条件にしてしまうのです。ですが、前提が大きく変わる中、現状の範囲で最適化してももはや間に合いません。現状を壊した中から新たなものを見出さないといけない。それがとりわけ深刻に響いてくるのがハードインフラの世界です。量が多く、蓄積があるが故に動きが鈍い。この30年間は「法治的完全主義」に陥ってきました。
村岡 それはどういう意味ですか。
家田 「法治」は字の通り法律で治めるということ。「完全主義」というのは、それが「完全」であるという信念のことです。つまり、「自分たちが作ってきたこの法制度は正しく、その中で自分たちはベストを尽くしてきた。矛盾が生じているのは、外部要因のせいだ」と考え、本当は自分が変わらないといけない状況でも、あらゆることについて自分以外に原因を求めることを指します。
村岡 企業経営では基本的に競争があるので、敗者は市場から退出を迫られ、何らかの変革を余儀なくされます。問題は、競争環境が緩い状態でも自律的に変革できるか。これが難しいのは、多くの日本企業が社内及び外部取引先や顧客ともきっちりすり合わせて仕組みをつくってきたからです。それを自分の力で壊さないと、進化できないし、気が付くと競争に負けているんです。
おそらくインフラは、法律を含めてハードウェアにまで、そういうすり合わせが行われていると思います。大きな自然災害や戦争で壊されれば「仕方ない」となりますが、そのような事象がない中で、どうやって自律的に作り変えていくのか。家田先生のOSチェンジはそういう問題提起をされているのだと理解しています。
家田 企業の内部を変えるときに、部下も同意してくれればいいのですが、なかなかそうもいきませんよね。そこはトップが方向付けをして引っ張っていくのでしょうか。
村岡 そうです。ビジョナリーもいれば、カリスマ性、派手さはなくとも人望で引っ張るなど、いろいろなリーダーシップがありますが、トップが方向性を示して、まず自分で動かないと、変革は始まりません。
家田 古くは松下幸之助や本田宗一郎など、引っ張っていく力を持つリーダーが輩出されていました。今の日本の経済界は以前と比べてどうなのでしょうか。
村岡 自戒を込めて言うと、明らかに低下しています。よく引用されるのが、スイスのIMD(国際経営開発研究所)が発表している国際競争力の比較です。バブル時代の日本は国際競争力で世界トップでしたが、2025年は69カ国中35番です。かつては政治が三流で、民間の経営は一流か二流かと言われていましたが、要素分解すると、現在足を引っ張っているのは民間の経営で、69カ国の中で最下位に近い。
その理由は意思決定と実行力の弱さにあるというのが私の理解です。経営は戦略の方向性を示して、決めて、実行することの繰り返しです。以前はガラパコス内の勝負に囚われて、戦略自体が弱かったのですが、今は情報格差が軽減し、戦略はAIがつくってくれるので、ますます意思決定力と実行力の勝負になっています。

異分子の視点を入れてクオリティを高める
家田 インフラは、戦後はどれもこれも足りなくて、スピーディーに作ってきました。やるべきことが明瞭なときは、みんな知恵を出しますが、悲しいかな、だいたい行き渡ってくると、綻びが露呈します。下水道がその典型で、90%以上普及していますが、よく見ると、あるパイプが一旦壊れたら、埼玉県の4分の1の人口が使えなくなってしまう。八潮のように、いざという時も含めて、クオリティを作るところには力が及んでいなかったのです。
僕も含めて凡人は、「今、これがトレンディーだ」というと、そこに注力して他のことは見ようとしません。企業や官庁に異分子を入れて、「それは違う」「こちらもやらないとまずい」と言う必要があると思います。
村岡 多様性が必要ということですね。
家田 私は30代のときにドイツでメルセデス・ベンツの会社や工場を見学しました。素晴らしい設備で良い性能のものをつくっているのは想像通りでしたが、驚いたのは、エンジン、機械力学、タイヤの専門家だけでなく、美学、哲学など、自社のプロダクトとは何も関係ない人を少数入れていたことです。「当社のプロダクトの次の次はどういう方向に行くべきか」、「当社のやっていることは社会にとって正しいか」を考えるのが彼らの仕事です。業界でトップを切るメルセデスは、効率や金銭的なアウトカムを追求する世界ではなく、一段違う考え方をしているなと思いました。
村岡 それは民間企業の経営でも改めて問われています。特に、知識がAIに置き換わると、人間は何の役をやるか。AIができないこと、即ち、意思決定して実行して責任を取ること。そこで肝要なのは、自社にとっての原理原則です。儲かるかどうかの軸だけでなく、美学、美意識、感性の世界、広く言えば教養をどうやって組織の意思決定の中に取り込むのかを考えないといけません。
家田 同感ですね。僕はChat GPTをよく使います。議論すると、専門家に聞かないとわからない知識も示してくれて、いろいろと試行錯誤ができるんです。
村岡 私もChat GPTと壁打ちをしますが、そこで得た知識をベースに物事を決めていいのか。それで周りの人に納得感があるのかはすごく考えますね。
家田 部下とChat GPTとでは、違うやり取りが生じますか。
村岡 人間の部下は一次情報を持ってくるのに対し、Chat GPTはすべて二次情報です。「このレストランはおいしい」という情報はChat
GPTでも教えてくれますが、部下は実際にそこで食べているので、伝える情報の質が違ってきます。「そのレストランに心がどう動かされたのか」という一次情報が提供できない人間は価値がなくなります。特に、二次情報を加工して伝達する役割のホワイトカラーは生成AIに置き換えられていく。インフラマネジメントの場合、エッセンシャルワーカーが身体を使って一次情報を扱うような仕事は置き換えられないかもしれませんね。
家田 現場では人手不足なので、身体を使う作業を置き換える方向で技術開発が進んでいますが、それでも全部が置き換わるわけではありません。エッセンシャルワーカーに残る仕事は、計測された情報だけでなく、経験的「勘」で捉える情報。たとえば、「横町のおばさんが言っていた」といったインフォーマルな情報も捉えて、それを全部ガチャッとした時に、新たな価値が出てくる。それが人間にしかできないことです。そういう人を育てるコツはありますか。
村岡 若いうちから修羅場を経験することでそのような人間力を生み出す力ことが出来るのではないかと。プレッシャーや緊張の中で、意思決定をして責任を取るという経験を数こなすことによって、人間は成長していくと思っています。
家田 我々の場合も、事故災害こそが人間をつくります。たとえば、鉄道事故が起きると、一刻も早く原因究明、再発防止、再開をしないといけません。それができるのは、ポストが高いとか、やる気があるかどうかではなく、私の感覚では面白がれる人。常日頃から「こうしたら面白いのではないか」と言える人は、修羅場でも活躍できます。
村岡 そこは同じですね。企業経営における災害は企業再生が必要になる場面ですが、そのときに、「組織を変えるチャンスだ」「自分で新しいことをするチャンスだ」と思えるかどうかで、パフォーマンスや成長度合いが全然変わってきます。

私たちはインフラのオーナーである
家田 私は事業構想大学でミドルキャリアの学生に教えていますが、介護において美容、化粧などが決定的に大事ではないかという仮説で取り組んでいる学生がいます。同僚からは「お化粧なんかされたらケアが大変だ」と文句が出るそうですが、私は「それは絶対に正しい」と励ましています。たとえば、世界陸上の短距離のアスリートは髪型や化粧などバッチリ決めています。「私は美しい。その私が今、走ろうとしている!」と思うことでアドレナリンが出て、パフォーマンスが上がるからです。単なる自己満足や見栄ではなく、「格好良い」と感じたり、面白がったりすることは、仕事の本質の1つだと思います。
村岡 ビジネスパーソンはアスリートと同じです。毎日毎日、パフォーマンスをどれだけ最高な状態に持っていけるか。そのためには技術的な努力をしますが、それ以上にメンタルをベストな状態にすることが大切です。そのために私も毎朝ヨガを欠かさずやっています。最後に、これから人口減少が進む日本で、どのようなインフラマネジメントが求められるのでしょうか。
家田 いざという時まで気持ちを馳せたインフラにしていくためには、どうしても国民の支援が必要です。「下水道が壊れてトイレに行けなくなったら困るけれど、水道料金の値上げは嫌だ。国の補助金ならいい」という人もいますが、その補助金も原資は税金ですよね。施設インフラに限らず、あらゆる社会のベースにあるものは、自分も負担し、自分も使い、自分もそのオーナーである。そういう「私たち性」がインフラ世界の根幹にあります。そのために徹底的に見える化して国民の理解を促し、限りある予算の中で撤退する部分と高度化する部分のメリハリをつける。そういう理性・知性・良識が求められていて、その危機的な転換点にあるのが今だと思っています。
村岡 「徹底的な見える化」に基づくメリハリある意思決定は、まさに経営の仕事です。そして実行に当たっては、特にAI時代においては、この「私たち性」の醸成によって関係者を巻き込む力こそが経営者として問われます。今日のお話を伺って、改めてIGPIの設立理念が思い出されました。「矛盾や困難をはらむ経営現場での死闘・格闘を通じて、世界に通用する真の経営人材を創出すること」。この理念を忘れることなく社会に貢献できる組織であり続けたいと思っています。
